7.銀の髪の乙女

セントは言った。
「あいつはあの子が大好きだから。」
クロはその言葉を反芻しながらナイラの部屋の前まで来た。
誰かを好きになるということ…それはとても不思議な感情だ。
(好き…か。)
ナイラ程真剣に人を好きになれたら幸せだろうか?
思い返されるのは酒場にいた白エルフの娘だけ。
砂のように、俺の手の中から滑り落ちていったあいつの命…守れなかった俺に残されたのは“弱者”という自分への烙印。
自分が生きている事の、意味がわからなかった…。
「マオ!」
先に入ったマオを見るなり、ナイラがマオにとびつく。
「クロも!」
半ヤケになって考え事をしていたクロにも、やはりとびついてくる。相変わらず美しい顔だった。
「おかえりなさい。」
この笑顔の為なら、いくらでも危険を侵すやつがいるだろうに。
「すまなかったな。」
そう囁くと、ナイラは複雑な顔をした。
「…こっちこそ、ごめん…。」
「いいさ、別に。」
あまり気にはしない。そ仕事だったのだから。
「凄く心配だったんだ。」
「何で?」
「やられちゃうかも…って。」
「俺がやられるとでも思ったのか?」
心外だ。そんなに弱そうに見えてたのか。
「…だって細いし。」
そう言いながら一歩離れて頭から爪先までまじまじと見る。
「お前には言われたくないし。」
「だから心配だったんだし。」
何だ、自覚はあるのか。
「その点、マオは心配してなかったけど…。」
「まぁな。」
マオは少し不機嫌そうに返した。
「でも、ごめんね、ワガママ言って…」
すまなさそうにナイラは下を向く。セントに二人を連れ戻せと言ったのはナイラらしい。
結局フランもそのままにしてきたので、クロ達は最初に依頼された仕事に失敗をしたことになるのだ。
「いや、いい。こいつの気分に付き合ってたらやってられないからな。」
俺の言葉にマオは顔をしかめたが気にはしない。
「ん…うん。とりあえずお疲れ様。座って。」
2人はナイラと向かい合って長椅子に腰掛けた。
「本っ当に悪いと思ってる。」
座ってからも頭を下げるナイラに、マオもいい加減に悪いと思ったらしい。
「別にお前は悪くないさ。」
と呟いた。
「俺が気にしてるのはマルクって男だ。」
「?」
「あの野郎…俺の事、刺しやがった。」
「刺されたの!?」
ナイラがすっとんきょうな声を上げる。
「の、割に元気だね。セントに治してもらったの?」
「いや、コイツは無駄に頑丈なんだ。治りも早い。」
「なるほど。」
「それで納得するのか普通?」
マオは仏頂面だ。
「…しかしあれは殺すべきだよな。」
マオはギリギリと歯を噛み締めた。
「ま、待ってよ。危ないし、ね?」
「でも、ムカつくから。」
「ムカつくだけでやっちゃ駄目!」
子供じゃないんだから…と溜め息をつく様子に、妙に親近感を覚えた。
「二人がいなくなったら凄く悲しいよ。折角の友達なんだもん…。」
『……。』
俺達は思わず顔を見合わせた。
「…わかったわかった。」
マオが溜め息をつく。
しかし何でこう…溜め息の嵐なんだ。
「勝手に殺しに行ったりしないから。」
「ホント?約束?」
「うんうん。」
頷くのを確認し、
「よかった…」
ホッと一息つく。
「大体ね、マオ。僕の依頼内容の最優先事項の事、忘れてない?」
「ん?銀髪娘を攫え?」
「違うよ。“生きて帰ってくること”でしょ?」
「聞いてないぞ。」
「え…クロに伝えたんだけど…」
戸惑う顔。
「クロ助…」
「殺しても死なないような奴にそんな事を伝える義理はない。」
「お前なぁ…」
睨み合う俺達の前で、ナイラはオロオロしていた。
「死にたがりのくせに。」
「え…クロ?」
「あぁ。クロ助は生きてたくないのさ。」
「……。」
「…何で?」
何で?と言われても…。生きたいと願うナイラに、その気持ちは随分と贅沢なものだと感じるだろう。
ただ、どう説明すればいいのかクロには解らなかった。
「…。」
黙ってしまったクロに、ナイラはやはり不安そうな目を向けた。
「クロは…辛いの?」
「いや…」
席を立ち、自分の目の前に来た藤色の瞳から、フイッと目をそらした。
「俺一人いなくなったって、世界は何も変わりゃしないんだ。」
「クロ?」
「…。」
「…こっち向いてよ。」
それでも頑にそっぽを向く顔を、ぐいっと両手で掴んで無理矢理視線を合わせる。
「お前には…きっとわからない。」
そう、思った。ナイラが今までにどんなものを失くしたのかはわからないが、生きたいと願う以上、死にたいと思ったことなんてないのだろう…たぶん。
そう、思った。
そして次の瞬間…
パァンッ!
「!?」
ナイラの両手が左右から頬を打った。




目次へ・・・前へ・・・次へ