エン伯爵の妻はセンという名前だった。似たもの夫婦というか何というか、伯爵婦人も穏やかな人だった。
伯爵婦人お手製の料理は華美ではないが温かく、やわらかい味だ。
「お口に合うかしら?」
「美味しいです。」
ユーロはスプーンを片手に嬉しそうに笑う。
「良かったわ。」
「しかしリラちゃんはしばらく見ない間に綺麗になったねぇ。」
伯爵の言葉にリラはマルクとフランを見た。
『…。』
マルクは一瞬目を合わせて食事を続け、フランは「そうかも」とフォローしてパンをちぎった。
「…ありがとうございます。」
何だか複雑だが…良しとしておいた。
「ところで、リラとはどうやってお知り合いになったのですか?」
ユーロが伯爵を見る。
「おぉ!」
伯爵は大袈裟に天井を仰いだ。
「まだ話していなかったね!」
そして目を輝かせる。
「リラちゃんは私の恩人なのだよ。あれは何年前になるかなぁ?」
「…5年くらいでしょうか。」
リラのやや沈んだ声。
「そう、あの時、村の近くの山に狼が出ていてね。私はそれを退治しようと山に登っていたのだよ。」
「…盛装でね。」
聞こえないよう、リラが呟いた。
「かなり登ったところで、迷ってしまってね…どうしようもなくなっていたところをリラちゃんが助けてくれたんだ。」
「…15分くらい登ったとこだったわ…。」
やはりリラがポソリと呟く。
「大変でしたね。」
ユーロは気の毒そうな顔で相槌を打ってリラを見た。
「リラ凄い。」
「ありがと。」
何だか複雑だった。
伯爵は好きだ。本人も良い人だし、奥さんも大好きだ。
しばらく泊めてもらったが、この屋敷の人々にはすぐに馴染めた。
ただ、やはり時々とんでもないことをしてくれる。貴族と平民の感覚の違い、なのかもしれなかった。
夕食後、6人は暖炉の前で談笑していた。
フランがライラを弾き、ユーロは笛を吹いたり歌を歌ったりした。
老夫婦は喜んでくれたし、センのお手製クッキーも美味しかった。とても穏やかな時間だった。
…見慣れない侍女がお茶を持ってくる前までは。
最初に異変に気付いたのはマルクだった。
「おい女。」
鋭い声で呼ばれ、ユーロとリラは驚いた顔でマルクを見た。
「伯爵から離れろ。」
侍女は驚いた顔をしてマルクを見る。
「は、はい。」
ちょっとハスキーな声だった。
「狙いは何だ。」
剣を抜くマルク。
「な、何のお話ですか…」
「とぼけるな。」
剣が向けられた。
「なぁんだ…やっぱりこうなるんじゃねぇか。」
侍女はニヤリと笑い、編んで垂らしていた髪を引っ張った。黒髪がばさりと現れる。
「解ってるなら話が早ぇ。パーティの第二幕だ。早く遊ぼうぜ。」
両手にダガーを構え、マオの金色の目が笑う。女性ならば決してしないような、邪悪な笑顔だった。
「!」
マルクは愛剣で眼前に迫った刃を受け止める。リラに文句を言われつつも持っていて正解だった長剣。
「やるじゃん♪」
楽しそうなマオを無視してマルクはマオのダガーを滑らせ、切りかかった。
「おっと。」
マオは受け止めたが、予想外に重い一撃だったらしく、一瞬笑顔が消えた。
弾くが、間髪入れずにマルクの剣は打ちかかってくる。マオにしてはめずらしく、防戦続きだ。
スカートの裾が踊り、剣に持っていかれる。
「スカート裂いちゃって…中見たいのか?」
「御免だな。」
飛びのいて睨み合う二人。
「破れた服で戦うメイドって背徳感があるなぁ。」
感慨深げにマオは呟いたが、マルクは完全に無視した。
一方、クロは庭の木の上で、じっと機会をうかがっていた。
フランが二人から距離をとるため窓際に寄る。
ナイフ1本で、十分。
次にマオ達に動きがあったら…
「リラ、ユーロ!伯爵を外へ!」
二人の攻防に目がいっていたユーロはマルクの声で我に返り、思いのほか素早く動いた。
「フラン!」
リラが唐突にフランを突き飛ばす。
バリイィン!
「っ…」
ほぼ同時に窓のガラスが割れてナイフが床に刺さった。
「行って!」
リラはユーロにそう叫び、窓の方を睨んだ。
「隠れてないで出てらっしゃい。」
静かに、クロは木の枝から飛び降りた。
カンの良い女だと、素直に感心していた。
割れた窓の向こうにはリラと背中合わせでフランが立っている。ユーロは伯爵を連れて逃げた。
「…。」
とりあえず、フランを殺すべきか?いや、ナイラの為にも殺したいのは山々だが最優先はユーロの捕縛だ。
「どけ。」
「嫌よ。」
クロはちらりとマオを見たが、マルクの相手だけであまり余裕はなさそうだった。
マルクは、強い。まともに相手をして勝てる自信はない。マオだって油断すれば危ないだろう。
ユーロが逃げるとしたら、館内。老夫婦を連れて外に行くとは思えない。
「…。」
二階のあたりで魔法の気配がした。内側から結界を張ったのだろう。外から窓を破るには足場が悪い。
中に入るしかない、か。ついでにフランも殺ればいい。
クロは暗闇を駆けた。
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