「…。」
何だか不本意だと思いながらもフランが器を洗っていると、マルクがやってきた。
「もうすぐ終わる。」
タオルを持っているということは、顔を洗いにきたはずだ。
「そうか。」
「ほら、もう終わった。」
そしてフランは器を拭き、マルクは顔を洗い始めた。
「マルクさぁ…」
「?」
「その前髪って鬱陶しくないのか?」
いつものようにマルクは少し間をおいて答えた。
「仕方無い。晒して歩けるような状態じゃないからな。」
「…どうなってんの?」
躊躇いがちに訊いてみる。
実はフランもしっかり見たことは無いのだ。何だか、触れてはいけないもののような気がしていて…。
「見たいのか。」
マルクはタオルうずめた顔を上げた。
「…あぁ。」
「そうか。」
その言葉と同時にマルクは前髪を上げ、フランを両目で見つめた。
「…。」
久しぶりに見たマルクの本当の顔は、悲惨なことになっていた。
マルクの右目は綺麗な碧色。視線は鋭いが、フランは自分の蒼い目よりもマルクのような濃い色を羨ましいと思っていた。
それなのに…左目は…。
「邪眼…だったんだな。」
全ての光を吸い込む混沌のような黒だった。闇色の…特殊な力が宿る邪眼は王国の人間にとって、忌み嫌うべき対象だった。
「いつ、からだ?」
昔のマルクは両目とも碧い色をしていたのに。
「お前に会う少し前だな。」
「フリーの傭兵時代、か。」
「そう、終戦の頃だ。」
沢山の人が死んでいった戦争は、今でも国に大きな傷跡を残している。封印の結界を支える石にヒビが入り、魔物が人間を襲ったのだ。それは…本当に悲惨な戦争だった。
「ごめん。」
「?」
「俺、戦争で苦しんでる他の人達のこと、考えてなかった…。自分のことで頭がいっぱいだった。こんなに近くにいたのに、それなのに…いつも、俺…」
うなだれるフランに、マルクは少し困った顔でため息をついた。
「自分に危機が迫ったとき、人間が一番に考えるのは自分のことだ。それは誰にも否定出来ないし、間違ってはいない。ワガママとは言わない。」
「……。」
「自分が生きていなければ、誰かを護るなんて不可能だ。」
「…うん。」
「この目のせいで、俺の世界は半分が歪んで見える。本来なら美しいものも、全部な。それでも、こうなってでも俺は生きたかった。まだやることがある。」
フランはマルクをじっと見つめていた。
「あまり左目を見るな。いつ力が発動するかわからないぞ。」
「あ…うん。」
「そろそろ行くぞ。またリラが騒ぐ。」
マルクは前髪を下ろし、さっさと歩いていった。
「あ、待てよ。」
フランは急いで器を重ね、後を追った。



その翌日、ユーロはリラと一緒に道具屋にいた。
道具屋とはいっても村ではなく、行商人がたまたま通りかかったのだ。
「これと、それと、これ。あ、あっちのも見せて。」
リラの様子に、店のオヤジはただただ感心していた。
「お客さんイイ目してるな。」
「お金、足りる…?」
ユーロは不安そうに呟いた。
「大丈夫。ギリギリね。他の品物、見ててもいいわよ。」
可愛らしく片目を瞑るリラを、ユーロは信じることにした。
とりあえず、そうするのが吉だろう。ユーロには、同じ商品の良し悪しを一撃で見抜けるほどの目はなかったから。
「?」
しばらく店の中を見回していると…何だか見覚えのあるような気がして、銀色の飾りの前に立ち止まった。
わざわざ額に入っていて、大切そうに飾ってある。
「あら?勝利宮のシンボル?」
袋を持ったリラが覗き込んだ。
「そりゃあな、勝利宮の先代主教様のもんだ。」
オヤジが得意そうに胸を張る。
「何でそんな大層なものがここにあるの?」
「それはそれ。話せば長いんだが、俺がまだガキだった頃さ…」
店主が森を歩いていると、足に傷を負った若い男が倒れていた。どうやら毒蛇に噛まれて傷口を抉ったらしい。そのあたりには水場もなく、満足に洗うことも出来ず毒が回ってしまったようだった。店主は大慌てで人を呼び、自分の家に連れて帰って数日間看病した。
どうにか馬に乗れるようになるまでに回復した男は、馬の代金だと言ってマントの留め金を置いていった。
店のオヤジの話を要約すると、こうなる。
「で、実はその男ってのが当時の勝利宮主教の息子だったのさ。今から思えば、あの姿、どう考えても貴族だったよ。」
「へぇ。どんな人だったの?生で主教の息子とか、普通無いわよね。」
リラは興味深々だ。
「今から思うと、凄く礼儀正しかったな。当時の俺は厳めしくて堅苦しい感じにびっくりしたが、嫌じゃあなかった。とにかく動きが綺麗だったな。憧れたよ。」
オヤジは笑う。
「顔は〜?」
「あー、美男子だったな。釣り目じゃあなかったが目つきは鋭かった。村の娘が騒いでたよ。」
「お会いしてみたいですね。」
ユーロが微笑む。
「あぁ。だから妙に親近感があってな…亡くなったって聞いた時はそりゃ悲しかった。」
しばし、沈黙が降りる。
「いけねぇ、湿っぽいのは良くないよな。もうすぐ乙女宮の主教様が交代なさるって話を聞いたもんだから、つい。」
「あぁ、あれね。残念よね。今のレアル様ってイイ男なのに。」
リラが残念そうに首を振る。
「あぁ、でも、新しい当主になったら先代は身分を隠して移り住むんでしょ?どこかで会えたりしないかしらね。」
「あはは、そりゃ無理だろう。極秘だし、会っても教えるもんか。」
「そうよね…。」
リラが悔しそうに拳を握っているのが、ユーロには少し面白かった。





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