「いつもの。」
「も〜。こんなに早くからお酒ぇ?」
酒場の看板娘は愛らしく頬を膨らませた。
「ま、いいじゃねぇの。」
人なつこく片目をつぶり、マオは隅の席に座った。
「今日は何かしら?ご機嫌ね。」
グラスを持って来た看板娘は眩しそうにマオを見た。
「仕事。」
「あらら。」
看板娘は知っていた。
仕事の話となるとマオは異様に口が堅い。
「ご飯は?」
「じゃあ、いつもの。」
「は〜い。オマケしてあげるわ♪」
看板娘はマオの顔にある入れ墨に軽く触れて厨房に戻って行った。



「こっちこっち。」
クロが店に入るとマオが手招きしていた。
夕暮れの酒場は食事をしにくる客で一杯だ。マオの向かいに座り、ウエイトレス
にコーヒーを注文する。
「…。」
解散しようとした矢先、この店に来る羽目になるなんてクロは思っていなかった。
バニラ…その響きが耳に残る。この店の歌姫だった女はもういない。白エルフの歌声には癒しの効果がある。
そのせいだか知らないが、彼女の歌声を聴いていると自分でさえ許される気がした。
彼女の姿や歌声は今も鮮やかに思い出せる。
さらさらと揺れる淡い金髪、静かで透明感のある歌声。
仕事の後、この店に来て歌に耳を傾ける…そんな時間がずっと続けば良かったのに…。
「おい。」
「あ?」
「冷めるぞ。」
「あぁ。」
「またあの女のこと思い出してるのか?」
「お前には関係ない。」
クロが睨みつけるが、マオは黒髪の間からギラギラした目を覗かせた。
悪巧みをするときの顔だ。
「女々しいなぁ。そんなんだからいつまで経っても新しい女が出来ないんだ。何なら俺が花街の女でも紹介してやろうか?お古でいいなら。」
「喉に風穴が欲しいか?」
彼女とはそんな関係じゃなかった。
「出来もしない事言うな。」
「…そうかもな。」
そう呟くと、クロはマオのグラスにコーヒーのミルクを全部入れた。
黄色っぽい透明な酒がクリーム色になってゆく。
「てめっ…」
「それを飲んで死んでくれ。酒代ぐらい払っといてやる。」
椅子に背を預け、クロは鼻を鳴らした。
マオは机に手を着いて勢いよく立ち上がる。
「死ぬかバカ!お前こそ死…」
“ね”という言葉をマオは言わなかった。
代わりに身体を捻る。
クロはマオの身体があった壁にナイフが刺さると同時に店の反対に向けてナイフを投げ返した。
性格が合わないと思っている割には息が合っている。
クロの投げたナイフは反対の壁際にいた犯人の袖を縫い付けた。
マオはピュッと口笛を吹く。
「俺だったらザックリ殺っちゃってるけどな。」
「始末すればいいってもんじゃない。お前の単細胞頭と一緒にするな。」
「ハン!意気地無し。見覚えは?」
「無いな。」
知らない顔だった。
まぁ、マオにとっては何だって良かった。
自分達に懸かった賞金狙いでも、怨恨でも。
「数はいるんだな。」
店のあちこちで立ち上がる男達。
「なぁ、俺がいっていいか?」
「好きにしろ。殺すなよ。」
「じゃ、グーでいく。」
言うと同時にマオは飛び出した。
店の真ん中、少し開けた場所でマオは踊るように戦う。
何も知らない野次馬が無責任にはやし立てていたが、クロは黙ってコーヒーを飲んでいた。
時たま、吹き飛ばされた加害者が被害者となって周囲の机に突っ込むけたたましい音がする。
あっという間に全てが片付き、マオは最後の一人に跳び蹴りをかまして軽やかに着地した。
店中からの拍手と野次が飛ぶ。
「いやー、やっぱ喧嘩はいいねぇ。頭ん中空っぽになるし。」
元から大して入っていないだろう、という言葉をクロが言う前にマオは肩を叩かれた。
「お客さん。」
「あ?」
「椅子3、机2、グラス5、皿3だ。週末までだからな。」
店主はズンズン去っていく。
「仕掛けて来たのあっちだって…」
請求書を見たまま、マオは固まった。
「…クロマオの二人か?」
クロがそちらに目をやると、フードを被った男が立っていた。




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