「…。」
また怒らせた。
苦笑しながらその後ろ姿を見送り、レアルは再び机の書類に目を落とした。

キィ…ン…

鋭い痛みが頭を襲う。
こめかみを押さえてレアルは膝をついた。
「…。」
息が苦しい。
少しばかり、感情が篭り過ぎたか…
「ナイラ…許せ…」
激しい痛みの中、そう呟きが漏れたのは懺悔だろうか…。
しばらくして痛みがおさまり、息が調う。
「…はぁ…」
やっと立ち上がり、溜息をつく。
再びバルコニーに出て、欄干に肘をつく。息子は何も知らないで笛を吹いている。
そっと目を閉じて音色に耳を傾ける。澄んだ音だ。
「…女々しいな。」
自嘲気味に笑った次の瞬間
「…あんのヤロ…」
ナイラが音を間違え、笛の音が止まる。
「イイトコで間違えるなー!」
叫ぶと、その声にナイラはびくりと反応してレアルの方を見た。
「ふん。」
軽く鼻を鳴らし、間違えたことに少しだけ感謝する。暗い考えの輪から引っ張り上げてもらったのは事実だ。
こちらに向かって手を合わせる姿に軽く手を降り、部屋に戻った。
「…のらねー…」
机の上に向かって言い捨てた。
そのまま続きの寝室に向かい、上着を脱ぎ捨てて寝台に寝転がる。
誰とだって、出会えば別れる。それは嫌というほどわかっていたはずなのに。
置いて逃げるために引き取ったんじゃない。ただ、時間を共有していたかっただけだ。
子供ではなく、親が巣立つなんて、全くもって滑稽な話だ。






ナイラは石像の上で、レアルの消えたバルコニーをしばらく見つめていた。
「フゥ…」
小さく溜息をつき
「バーツ。」
と口にした。
「何か用か?主。」
声と共に、三日月の端に義翼の天使が舞い降りた。長身痩躯の身体に長い金髪。頬には赤い十字が描かれている。
「まだ主って呼ぶの?」
バーツはナイラの友人であり、兄のような(だとナイラは思っている)天使だ。
異世界から落ちてきたところをナイラが見つけて助けたらしいが…あまりに幼かったので助けた本人は覚えていない。
「恩を着た奴の意地だ。で、また怒られたのか。」
「…僕が呼ぶときは怒られた時なわけ?」
「大体そうだろ。」
「…そうかな…。」
少しナイラは考え込み、頷いた。
「…かもしんない。」
「ホレみろ。」
「…意地悪だね。ま、いいや。」
「また、座ってればいいのか?」
「うん。今夜は、少し悲しいから。」
時間なんて止まってしまえばいい。
ナイラはまた笛を吹きだした。バーツは何も言わずに耳を傾ける。ナイラの目は、池に映った月だけを見ている。他のものなど見たくないとでもいうように。




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