礼拝から帰ったレアルは、チェス板を抱えて歩いている息子を見つけた。
「なんでお前が片付けてるんだ?」
「だって、人払いしてたじゃない?」
ナイラは先程までとは打って変わって惚けた顔をする。
「ルピーがいただろう。ここは本殿だぞ?人目が多い。」
「ルピーには先に部屋に行ってもらったよ。眠くなっちゃったもん。」
寝るばっかりに準備しといて欲しいし?と一人で頷くナイラ。
「…送ってやる。」
「ん?」
「お前がウロウロしていると俺が色々と言われるんだ。そこに直れ。」
「…はーい。」
レアルはナイラの正面に立つと、目を閉じて何やらブツブツと呟いた。
そして一瞬の浮遊感。ナイラはこの浮遊感が好きだ。
気がつけば離れの自分の部屋。
寝台を整えていた侍女が慣れた様子で突然現れた二人に頭を下げた。
「お帰りなさいませ。」
「ただいまルピー。」
ナイラは笑い、侍女にチェス板を預けた。
「そういえば、陛下は?」
「気にする順番が逆だよ。」
ナイラはクスクス笑い、レアルを見た。
「悪いな。俺は自分の身が可愛くて。」
「うん、帰ったよ。」
「そうか…ってお前、そりゃないだろう。」
「…先程お帰りになりましたよ、父上。」
かしこまった様子で伝えると、レアルは複雑な顔をした。
「慣れないな。」
「じゃ、帰ったよ、師匠。」
ナイラは養父のレアルを師匠と呼んでいる。いや、正確にはレアルがそう呼ばせたのだ。ナイラが自分の元に来たとき、すでに父親はこの世にいなかった。でも、それでもいきなり父と呼ばせるのはどうかと思ったのだ。
「仕方ないよな。」
「大丈夫。外に出たらスイッチが切り替わるから。」
本当だろうか、と考えるレアル。
「まぁいい。もう遅いから寝ろ。俺も寝る。」
「泊まってく?」
「いいや、帰る。準備も出来てないだろうし。」
「お部屋ならございます。」
ルピーと呼ばれた侍女がお盆を持って近づいて来た。
「いつの間に茶なんて煎れたんだ?」
「ナイラ様がレアル様と共にお帰りになりました。」
そう言って微笑む。
「私はナイラ様のお世話係ですから。」
薄茶色の髪に隠れ、片方だけの若草色の瞳が笑う。
「お前は優秀だよ。」
レアルは苦笑する。ルピーには敵わない。
「今夜は泊まって行こう。」
「向かいのお部屋が整えてありますので。」
「ご苦労。」
もう、苦笑しか出てこない。
「冷めないうちにお茶にしよ?」
ナイラが笑顔で座る。
「あぁ、そうだな。」
近くの長椅子に座り、二人は夜のお茶を開始した。




翌朝、ナイラは珍しく寝起きが良かった。
いつもならルピーが困り果てて揺り起こすまで起きないが、今日は声を掛けられただけで起きたのだ。
起き上がって部屋見回すと、やはりいつもの部屋。
白を基調に紅と金が彩っているお気に入り。
テーブルの上ではルピーが用意してくれた温かいミルクティーがほのかに湯気をたてている。
「何かいい事あるかな。」
とか呟いた途端、寝室のドアがバタンと勢いよく開いた。
驚いたナイラは目を丸くしてそちらを見た。
「…!」
そして、本人も気付かないうちに口が半開きになった。
「似合うか?」
愉快そうな声。
そこには髪をバッサリ切ったレアルがいた。
「え…嘘?切ったの…?」
「おう。スッキリした。」
レアルは左右に頭を振り、頭が軽い軽いと笑う。
「そりゃあそうだよ。腰まであったし、前髪も胸まであったし…。」
ナイラは溜息をつき、はたと顔を上げた。
「切った髪、どうしたの?」
あれだけあったら結構立派な髢が出来るはずだ。
「あぁ、売ろうかと思ってな。」
「売るの?」
「任期を果たした主教のモンだ。それらしい肩書つけたら売れるだろ。」
「そりゃ、売れるだろうけど…。」
「売ったら、3割くらい神殿に寄付してあとは退職金としてもらう。」
「…。」
「いやはや、肩に髪がつかないってのは新鮮だな。」
嬉しそうなレアルと対象的に、ナイラは憂鬱だった。
養父のレアルが引退するということは、自分が後を継ぐということ。
まぁ、それ自体は別にいい。
自分が“レアル”という名前を襲名して、仕事が始まるのだ。
上手く出来るかどうかは不安だが、それ以上に、それ以上に…
「何だ、しょぼくれた顔して。寂しいのか?」
そう、引退した主教は都を出る決まりになっている。
「…ちょっとね。」
素直な息子に、レアルは拍子抜けした。
「やけに素直だな。」

「たまにはね。」
こんなところで強がってもいいことはない。
「まぁ、そういうわけで、俺は行く。」
「もう?」
「今日は仕事が多いんだ。」
レアルはさっさと出て行き、ナイラは退屈そうに伸びをした。
「ハープの練習でもしようかな。」





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