1.ある夜のこと


しん…
夜の静寂の中、白い布がさわりと夜風に揺れた。
どれだけの時間が経ったのだろう…両手を縛られたまま、少女はぼんやりと虚空を見つめる。
月が高い。
深夜の通りには全く人通りがなく、そしてそんな中、少女は自身を呪っていた。
いかに自分が外の世界を知らなかったのかを痛感したからだ。
離れて暮らしていた異母兄から父が亡くなったという手紙を受け取り、
エルフの村に母を残してここまで来たのだ。だが、まさか宿の主が奴隷商と組んでいたとは…。
多少は武術の心得もあった。が、多勢に無勢だ。18の少女に何が出来ただろう。
それまで着ていた服や持ち物を奪われ、少女は今、粗末な白い服を与えられていた。
昼間の商人の言葉からすると、もう自分は誰かに買われたらしい。
それにしても…
少女はゆっくりと顔を上げた。
誰かに買われてしまったなら、もう自分は死んだも同然だ。
発言も、意思も、存在価値も…すべて自分の為ではなくなるのだ。
(会いたかったな…)
優しい兄の顔を思い浮かべ、目を閉じる。
もう会えることは無いのだろうと覚悟しつつ、空を見た。
青白い満月が、西の空に傾いている。
滑らかな白い頬を涙が伝い、石畳に雫が落ちて染みを作った。



カツン…カツン…
夜露に塗れた石畳を、一人の青年が歩いている。
夜の黙。
その中を歩きながら、ふと景色に違和感を感じた青年は辺りを見回した。
白…こんな夜中にそんな色があるわけないのだ。この町の家は全て煉瓦造りだから。
(洗濯ものか…?)
なんとなく気になったので、白いもののほうに足を向けた。
そよそよと吹く春の夜風が服の裾をそよがせる。
ある程度足を進め、白いものの正体が判ったとき、青年は思わず目を見開いた。
人が吊るされていたのだ。さやさやと吹く夜風に、長い銀色の髪が揺れていた。
奴隷商…あまりに酷い扱いを受け、命を落とす者も少なくない。
…生きているだろうか?そんな疑問と共に吊るされている少女の前まで歩いた。
「おい…。」
反応がなかったので首筋に手を当てると、まだ脈があった。
「おい、お前…しっかりしろって。」
青年はなるべく静かに呼びかけた。


誰だろう、この人は。
少女はゆっくりと重たい瞼を上げた。夜目にも鮮やかな金髪が揺れている。
でも…どうだっていい…そんなコト。
もうすぐ自分は終わりなんだから。冷やかしなら、無視してくれた方が嬉しいのに…。
「返事しろよ。」
蒼い目が近付き、少女はびくっと肩をすくめた。
「へへ、気が付いた。」
青年は笑顔を見せると、少し離れる。
「なんでこんな所にいるんだ?売られたのか?捕まったのか?」
「…。」
少女はふいっと視線を逸らした。
「まぁ、いいや。こんなことになってるってことは、朝には買手が来るんだな?」
「…うん。たぶん。」
捕まってから、はっきりした記憶はない。ずっと、意識が朦朧としていた。
…ハッキリしない意識の中、誰かが自分に優しく囁いた…気がした。
でも、それも幻聴かもしれない。いや、幻聴だろう。奴隷はヒトではないのだから。
「じゃ、ここで人生が決まっちまうわけだ?」
「…そう。」
少女は深いため息をついた。




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