二人の吟遊詩人〜星屑の詩〜
プロローグ
山に囲まれた、大きな大きな湖があった。広大な湖面を望む草原には、ぽつんと人影がひとつあった。
今晩は半月が綺麗な夜。人影は水面に映る月に向かって両手を差し出すようにして立ち上がった。
そしてその口から美しい歌声が流れ出した。高く、澄んだ声はそよ風に乗り、どこまでも届いてゆきそうだ。
何かの物語の一節だろうが、誰かが聞いていたとしても何を言っているかはわからないだろう。
その言葉は、失われて長い年月が経った言葉だったから。
消え入るようにその歌が終わると、その後からやや低い声の歌が続いた。
「 虫も殺さぬ顔をして 澄んだその目でどれだけの 男の心を殺したか
あなたを慕うこの心 知らぬわけではあるまいに
月光で衣を織り 星屑でその髪を飾ろう
その手に触れることが叶うなら 命など惜しくはない 」
こちらは普通の話し言葉の歌だった。
「ライラ。」
先に歌っていた人影が振り向いた。その吟遊詩人の名前はフルートと言った。夜だというのに目深に被った布の隙間から、赤く綺麗な髪が垂れていた。ライラと呼ばれたもう一人はフルートと似たような格好をしていたが、それよりも背が高く、黒い髪を垂らしていた。
「別れの歌…懐かしい言葉だね。」
ライラが微笑む。
「うん。」
フルートは頷いた。
「でも、やっぱり返歌が無いと歌も物足りないもんね。ありがとう。」
笑いあう二人は吟遊詩人だ。語り部のフルートとライラ。今は、そう呼ばれている。吟遊詩人に顔はいらない、名前もいらない。必要なのは語る物語と声だけだ。だから二人は聞き手には顔も見せないし名前も自分からは名乗らない。
「そろそろ時間だよ。」
今日は、村滞在させてもらっている村の人々に話をしに行く日だった。フルートは頷き、ランプを点けようとしたライラを止めた。ランプの明かりは嬉しいが、星の瞬きが霞んでしまうから。
「もうすぐ冬だね。」
フルートが木立に目をやりながら呟いた。先のとがった木々の葉は一年中緑だが、下に生えている草は枯れてきている。道端の乾いた草の上を歩く感触が、フルートな何となく好きだった。
「そうだね。」
ライラは星空を見上げた。秋の星がまたたく姿、そして寒い季節に特有の澄んだ空気の感じ。
ふとライラは心配そうにフルートを見た。
「寒くない?」
「まだ平気。大体、ライラの方が寒いのは苦手でしょう?」
「あ、そういえばそうだったね。忘れてた。」
ライラは火の点いていないランプを揺らしてクスリと笑った。フルートのこととなるとつい、心配しすぎてしまう。
二人で吟遊詩人をやりはじめてから、随分長い時間が過ぎたのに。誰よりも解り合える相棒だと信じている。
だから、傷ついてほしくないし、失いたくない。危険な目には遭って欲しくないのだ。
…風邪だとしても。
この時期にじらせて大病に発展する人間は少なくない。
「ライラったら…あ。もう着くね。」
フルートが布を被りなおす。
「今夜も頑張ろうね。」
「うん。」
二人は村人が待つ家の扉をくぐって中に消えた。
今宵も二人は歌う。
それは 忘れ去られた物語
それは はじまりの物語
水上の白き城にて
若草は青き炎を呼ぶ
炎は影を 影は闇を生む
それは 泉の都の物語…
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